※ニュースのリンクが切れてしまったので、追記※

インドにて、コロナ禍を乗り切るため、ガンジス川で泳いで神の救いを待つ人が増えているという記事がありました。
写真ではガンジス川付近が超密な状態で泳ぐ方々が映っていました。
記事の書き方では「そんなの効くわけないのに(笑)」というスタンス。
コメントも荒れてました。




とても考えさせられるニュースでした。
二点ほど考えました。
結論は同じです。

「人の悪口なんて言うもんじゃない」


①日本人が信仰に口出しちゃいけない

例えば海外のニュースで以下のような内容が出ていたら。
「新型コロナウイルスの新規感染者が急増している日本では、先日緊急事態宣言が出されました。
しかしそんな中、大学入学共通テストが実施されました。
関係者は『感染対策はしっかりしている』と言っているものの、多くの受験生が一堂に会する試験が果たしていかがなものか、意見が分かれそうです。」

これとガンジス川のニュースは同じように見えます。

その国の文化の中でいかにコロナと付き合っていくか、が各国の課題。
日本でも大学入学共通テストに対して賛否があるように、恐らくインド国内でもガンジス川に対する賛否はあるはず。
その国の文化が分からないまま批判するのはよくない。

ましてやこのニュースの要は「信仰」。おそらく日本人が最も苦手とする部分ですよね。
信仰の「し」の字も理解できない日本人が「こんなのナンセンス」という態度でいるのはよくない。
もちろん、自分の文化に則った考え方をする(=ガンジス河で泳ぐインド人に抵抗を覚える)ことは悪くはない。でも、その気持ちを記事にしたりコメントにしたりして発信することは人を傷つけることになる。
冒頭の大学入学共通テストの記事(や、恐らく批判の多いコメント)を読んだ日本人が嫌な気持ちになるのと同じ。
そこは想像力を働かせないといけない。


②自分が一番と思っちゃいけない

例えば50年後の人が
「2020年のコロナ騒動の時って、不織布マスクでなんとかなると思ってたらしいよ」
「頭おかしいよね。そんなんで抑えられるわけないじゃん。コロナなんて〇〇薬飲めば一発なのに(笑)」
と言ってたらどうか。

例えば今現在、一部富裕層が
「ワクチン開発とか騒いでるけど、頭おかしいよな。裏ではちゃんと特効薬が出来てるのに」
「金持ってないやつはかわいそうだよな。まあほっとこうぜ」
と言ってたらどうか。


人間、自分の環境を否定されるのは辛い。
今の日本人は、緊急事態宣言が発令され、外出を控えながら、ワクチンや薬が開発されるのを待つことが最善策だと思っている。そして、その考えに至っていない人を「かわいそうな情報弱者」だと思い込む。
同じようにガンジス川で身を清める人は、神に祈ることが最善策だと思っている。
何が違うのか。

自分の環境が一番ではない。人それぞれ考え方があり、それを認めなくてはいけない。
というと「でも科学的にはこの方法が一番だと証明されている!」という反論があるかもしれない。

そこで、冒頭の未来人の言葉。
「今の日本では」その方法が一番なだけ。本当は違うかもしれない。

本当は神に祈るのが正しいのかもしれない。

中世ヨーロッパでペストが流行ったころは、当時の最先端知識を結集して「ペストは匂いで感染する」と結論付け、ハーブを詰めたマスクが最重要予防アイテムだったそう。
今から考えると「何言ってんだか」だけど、当時は最先端。

今の精神科医療とか想像しやすいかな。あくまで私の想像ね。
比較的新しい分野である精神科医療ではカウンセリングなんかが取り入れられてるけど、100年後に鬱病の特効薬が発明されたとする。
その時代の人から見たカウンセリングって、邪馬台国で巫女が病人に祈ってるのと同じかもしれませんよね。
それを我々は「最先端の学者が言っているから」という理由で信じている。

もちろん、今現在において、今現在の最先端を信じるのはいいんですよ。
でも、それが全てだと思って周りを見下してははいけないんです。
自分が一番だと思ってはいけないんです。

その考え方は誰かを傷つけるし、そして、自分に返ってくるんです。

みんな、必死で今を生きてるんですよ。
誰も馬鹿にしちゃいけない。